歴史書によると、享保6年(1721)東町より鞍馬僧正(飾台)を繰出したその後、湊から船車を出たとなっていますが、船車がでた年代は、はっきり特定できません。また、槍や鉾、薙刀などの武具を飾り、見送りには楯を飾っていたことなどから、昔の戦船(軍船)だといわれてきましたが、それもはっきりしていません。
明神丸という名称は、春日大明神から考えられますが、ここ大畑がヒバの積出港として諸国から出入りする船も多く、廻船商人が航海安全の守り神として建造したのではないかと考えられます。
槍や鉾、薙刀などの武具、帆柱、纏、紅白の吹流し
見送りはなく、槍や鉾、薙刀などの武具(屋台飾りと同じ)を飾る
張り子の樽
船山車なので、通常の運行時には「櫓こぎ」のハオイ(かけ声)をかけますが、方向変換する際には「キワリ(キヤリやキリゴエともいう)」(ニシン漁で網が一番重くなったときに掛るかけ声)を掛け、力を溜めて一気に船山車を曳くところ。
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